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金さんの話

母親(80歳)が子供の頃の話をたまにしてくれる。


おそらく1950年~60年、昭和20年代頃だと思うが、近所に金さんという朝鮮からみえた方が暮らしてみえたそうだ。


戦後間もない頃はみんなが貧しかったけれど、金さんも日々の食べ物に困るほどの生活ぶりだったそうで、母親の母親(祖母)が金さん所へ食べ物を持っていったり、母親が届けたりすることがよくあったそうだ。周りの子どもたちが金さんを揶揄ったり、卑しめるような呼び方をした時、それに思わず娘が便乗した時などは、猛烈に祖母は怒ったそうだ。


どんな境遇で金さんが日本に暮らす事になったのかまでは聞いてないが、その時にただ近所にいた金さんに祖母が普通に人間として接し、気づかい、ある時は守ったという話を母親から聞いた。


そういえば、子どもの頃に白頭山という美味しい韓国料理屋があったな。あそこのナムル好きだったな。美味しい韓国料理食べると、その尊さが分かる。


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人は誰しも、どこで生まれ、どこに行ってどこから来て、どこで誰と一緒に暮らそうが、全員もれなく平和に生きる権利がある。人と人が同じコミュニティーで共に生きる意味は何だろう?人間が人間らしくあるためじゃないかな。お互いを尊重して、干渉しすぎることも遠ざけることもなく、いい距離感でお互い気持ちよく生きていく。


道端の草花は隣を差別しない。外来種なんて呼ぶのは人間だけで(そもそも人間の営みのせいで外から違う種が運ばれてくる)、自然の中には区別も差別も存在しない。


ばあちゃん(祖母)の行動はそれに近いなと思った。当時の人権というものが根こそぎ蔑ろにされた時代に、こんな身近な人間と人間の優しさを感じられる出来事があったのだ。嬉しかった。


ばあちゃんには日本人ファーストという概念はなかった。


どこの国でも、何人でも、だしかん奴はだしかん、悪いやつは悪いと思う。でも人間らしい人たちも必ずいる。そういう人たちのほうが多いことを願う。


あれから70年以上経った今。SNSで目に余る、露骨な人種差別をする人たちを見ていたら、母親が話してくれた祖母と金さんの話を思い出した。


差別が横行し、それを見過ごし続けたらどうなるか。そりゃ、戦争になるわな。戦争になると、差別を差別とも思わず、人を人とも思わず、ゲームのように人が死んでいく。民間人が死んでいく。戦争を始めた政治家は死なない。


在日が!中国人が!クルド人が!と言う人たちにも主張する権利はある。ただ文句を言う矛先は当人ではなく、政治に言うべきだろう。今僕らの生活に関わる問題は全て政治によるものです。


中国の富裕層に買われてしまった土地、水源が危ない?それが嫌なら買い戻せばいいんじゃない?僕はお金があったらそうするな。ビジネスにはビジネスで勝負したらいいじゃない。武力は解決にならない。


今の日本にいる外国人労働者の人たちがどんな境遇で日本で暮らしているのか、考えたことも、想像したこともなさそうな人たちの差別は見過ごせない。


ヘイトもカルトも、米不足も、増税(税金の使い方)も、戦争による虐殺も、全て選ばれた政治による結果。


アメリカファースト、日本ファーストの前に、人間らしさファーストだと思う。


だから選挙に行こう。


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写真は昨年行ったソウルの写真。

 
 
 

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