top of page

野麦学舎

ボサノヴォードヴィルツアーのoff日は、野麦峠へ。




岐阜県高山市と長野県松本市の境にある野麦峠には野麦の集落があり、「野麦学舎」があります。




いま、この学舎を残すためのクラウドファンディングが始まりました。



ちょっと長いですが僕の気持ちを上乗せしました。是非読んでください。

野麦学舎は40年前に廃校になった小学校の校舎で、ずっと市の管理だった建物を取り壊される寸前で有志たちが「待った!」をかけ、市から土地ごと買い取るという形で何とか取り壊しを免れました。



直観的にか、情熱なのか、愛着なのか、いささかクレイジーなこの計画を本当に行動に移したのが、高嶋浩、高田稔の2人を初めとする野麦学舎保存会のメンバー。高嶋浩はライブの現場か居酒屋🏮でよく会う仲間で、高山在住の才能溢れる映像作家です。2020年3月の僕の初めての配信ライブをやってくれました。信頼できる、めちゃくちゃ熱い男です。



「廃校から劇場へ」


夢のある言葉だと思いました。

今年の夏、お盆に野麦学舎を知ってもらう皮切りイベントとして、ここで50年ぶりに野麦の盆踊りが開催されました。


飛騨の盆踊りと言えば「飛騨やんさ」ですが、各村や集落にも独自の踊り唄があり、野麦には「野麦イササ」があります。イササとは笹の葉のこと。太鼓や三味線は使わず、踊り手が交代で音頭をとりながら踊る盆踊りです。偶然にも、僕の叔父が飛騨の民謡を調べ、記録し、保存していました。叔父ーオズボーンこと堀尾雄二が書いた、ひだびとの唄「飛騨民謡考」を手にした時の興奮と感動はまだ手に残っています。



叔父がテレコで録音した40年前の飛騨各地の古老の肉声テープ。その中に野麦イササを発見しました涙。テープの音を頼りにまずは歌を覚え、踊りは野麦在住の踊れる方に直接習いました。

ここまでの流れ、はっきり言ってほぼ奇跡です。ミラクルでした。かくして野麦イササは50年ぶりに復活したのです。



芸能文化は過去の人々が日々を生きた暮らしの中に見出した、楽しみであり、唯一今でも皆で共有できる心の拠り所だと思います。そして野麦学舎のような有形文化は、人間の記憶の形であり、過去と未来を結びつけてくれる貴重な居場所であると考えます。


ただ、有形にしろ無形にしろ、文化は人が関わって、活用して、そこに楽しみを見いだせない限り忘れさられ、廃れていきます。今年の夏に野麦イササを歌いながら、日本には(世界中にも)失われてしまった唄や踊り、文化がいったいどれだけあるのだろうと、その儚さに目頭が熱くなりました。


でも逆を言えば、文化はたった一人の情熱さえあれば、復活することもできるのだと、わかりました。

先日、野麦学舎へ行ったら高山のカッコいい男たちが改修工事の真っ最中でした。自分らの仕事の合間をぬってコツコツトントン校舎を改修しています。彼らのセンスもピカイチですから出来上がりは楽しみです。ただね、お金はかかります。


応援したいです。関わっていきたいです。僕ができることは、このファンディングに協力する事と、唄を残すこと。野麦イササを昔のように、さらに新しい解釈でアレンジして歌いたい。踊りたくなる歌にしたい。飛騨の他の民謡や踊り唄も歌いたい。叔父が残してくれた記録を生きた歌にしたいなと思いました。文化をもう一度耕す。cultivate our culture again!

ジャンルや業種を問わずアートを愛する皆さん、映像作家さん、写真家、演劇人、ミュージシャン、録音エンジニア、美術、サーカス、大道芸、ダンス、古典もモダンも即興も、野麦峠の学舎を劇場にしませんか?一度遊びに行きませんか?春、夏、秋、冬、ぜんぶ最高なロケーションです。キャンプしながら滞在制作にもってこい。


クラウドファンディングへの協力を宜しくお願いします。


そろそろ飛騨の民謡練習会も企画します。待っててください。

閲覧数:27回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024

bottom of page