家族と離れ、山の中で自主隔離を始めてから10日が経った。
隔離後、4月5日ぐらいから微熱と倦怠感、筋肉痛と軽い咳が始まったのでいよいよ感染したかもと思い、誰かがやって来るなんて有りえない山小屋であっても念のため鍵をかけ、水分補給のペットボトルを2本用意してベッドに潜り込んだ。そしてひたすら寝た。コロナに対してはどちらかと言えば楽観的であったけれど、いざ自分にもニュースで聞いたような似た症状が見られ始めるとやっぱり怖くなった。携帯で家族と連絡はとっていたけれど、もしこのまま悪化してイタリアのあの男性のように最期に誰にも会えないで死ぬかもと思ったらものすごく悲しくなってきた。元気な時は、世界中でここまで感染が拡大しているのだから、どの道誰にでもうつるだろうし自分も早く罹って抗体ができるぐらいがいいだろうと思っていた。けれどもそれは間違いだった。守るべき人がいる大人の行動ではなかった。3月末に東京で一緒に過ごしたミュージシャン仲間に連絡をとってみたら、今のところ誰にも症状は見られなく元気だと言うので心底ホッとした。
ベッドの中でAntonio Carlos Jobimをひたすら聴きながら眠り続け、2日後、体温を計ると35.9℃。平熱に下がっていた。声は枯れていたけど、倦怠感や関節の痛みがなくなっただけで身体の細胞が喜んでいるのがわかった。関係ないけれど、微熱のボサノヴァは最高だよ。カルロスはきっとずっと微熱だったからあの歌い方になったんだと思う。微熱と言っても自分の場合は最高でも36.9℃だったから普通の人にとっては平熱かもしれない。頻繁に検温するようになって、自分は普段から低体温なのだと知った。脈が遅いのも関係するのだろうか。よく自分を知る人からは常に仮死状態と言われている。確かに、ほぼ死んでいる状態と上の空は似ているかもしれない。
4月のライブはもちろん、5月のライブも中止になったり自分から延期にした。2ヶ月も人前で歌わないなんてこの道に入ってから初めてだ。収入はなくなるけど仕方がない。他の方法を探るしかない。政府(劇団ギフト券)からはまだ何もギフトは送られてこない。国より先にギフト県がどう動くかだろうか。今、自分はwifiもほぼ繋がらない所にいて、携帯の電波も懐かしの「3G」という現代人にとってはなかなか新鮮な場所である。スマホの速度制限もそろそろかかりそうだから、いよいよオフラインになるかもしれない。繋がりそうで繋がらない都会free wifiの事を「不倫wifi」と僕は呼んでいるが、山の中でただの「古いwifi」になんとか繋げようとするのも馬鹿馬鹿しい。諦めも肝心である。
誰にも会わない日々、会話をしない日々。孤独だ。最初の1週間は人に会わないせいか、だんだん鬱っぽくなっていったが徐々に慣れてきた。病気や障害で外に出れず、人に会えず、家に籠らなければいけない人たちの気持ちが今は少しだけわかる。さすがにずっと家の中は辛いので、山の中を散歩する。最近よくカモシカに出会う。カモシカはでかい。近づくと「シュツシュッ」と鳴く(おそらく日本語で「しっしっ!」あっち行けよの意)。そして写真なんか撮ろうと下心を見せるものなら猛ダッシュで逃げていく。山の動物は本能で恐怖を感じて逃げる。人間も自然が怖かった。夜になると真っ暗闇だし、熊もよく出ると言われてるし、4月といえどまだ雪が降って寒いし、悪気のないカメムシがやけに多い。だから人間は家を作り、道を作り、柵を立て、山を崩してトンネルをほった。陽が当たるように木を切り、土地を広げ、村を作り、街を作り、安心を求めた。でもその都会においても人間は見えないウィルスに怯えている。本当に安全な場所などないんだなと思った。
誰が保菌者か分からない。自分が保菌者かもしれない。先週の初期症状っぽい微熱が下がった後も、それがコロナだったのか、ただの風邪だったのか、コロナだったとしたら抗体ができてるかもしれないし、できていないかもしれない。検査キットができて自分で検査できるまでは分からない。だから今は、自分は無症状保菌者だと思って行動している。それが最善策だと思う。安全な場所を求めて怯え続けるより、安全な場所などないと思って生きる方が落ち着いていられる。他人にも優しくなれる。不安は他人を排除しがちだ。
あと10日ほど1人鬱ごっこをするよ。初めての自主隔離。無症状だけど、無自覚ではない。寂しい時、この遅いwifiに繋がる時はこうやってまた発信したい。配信ライブは人里に降りてからのお楽しみで。それまでは山の中でウクレレ弾きながら自分と誰かのために歌うよ。こないだの満月はきれいだったな。自然は美しい。今のところは僕は元気です。みんなも元気でありますように。
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